前回の記事で、
1週間ぶりに
『給食の時間だけ学校に行く』
と笑顔で張り切っていた長男だったが、
実際行く時間になると泣けてしまい、
『休みたい…』
と精いっぱい振り絞った声でなんとか伝えてくれた、という話をした。
感情と涙の関係性やメカニズムは、調べて前回の記事にまとめてある。
しかし前回の記事では、肝心の息子の気持ちを考えられてはいない。
今回は、(あくまで想像ではあるが)息子の気持ちに寄り添ってみたいと思う。
Contents
泣けた原因と背景を想像してみる
そもそも、『今日行く!』と言ったこと自体が精いっぱい頑張った行動だとしたら?
プレッシャーを感じた結果の振り絞った行動だったとしたら?
その行動をした時点ですでに力を使い切ったことになる。
つまり、実際に学校に行く時間にはもうエネルギーは残っていない。
だから学校に行くことはできず、【泣く】という感情表現で意思表示をしたんだと考える。
なぜ朝は行くと言えたのか?
2通り考えられる。
- 自分の中で殻を破ろうと頑張った
- 周りの期待に応えようとした
この2つだ。
自分の中での内的動機
これは自分自身のきっかけだからとても前向きなことだと思う。
今回がエネルギー不足でも、次にはまた頑張れるだろう。
無理せず待ちたいと思う。
自分以外の外的動機
自分以外の(例えば親や先生など)外からのプレッシャーによって行動を起こしたと考える。
『しなければいけない』
という、ある種の使命感、ある種の強迫観念のようなものか。
これでは自分の軸ではなく、他人のプレッシャーを過度に感じてしまっているので、本人は辛いだろう。
周りのことを気にしないで良いよと教えてあげたい。
周りからのプレッシャーを感じてるとしたら
『周りは気にしなくて良いよ』
と伝えてあげたいが、伝えたところで理解できるものでもない。
なぜなら、自分も大人になって(ホントにここ最近)ようやく【周りよりも自分の軸で生きて良いんだ】と考えることができているからだ。
しかも、考えていても行動できるかどうかはさらに根深い問題だ。
なるべく生活のストレスを排除して、自分と向き合う時間を大切にしてようやく心穏やかな日々を送れる。
息子にも心穏やかな日々を
そう考えると、
今、何をするというわけでもなく、
安心できる場所で
安心できる人間と
自分の考える穏やかな生活を送り
自分の好きなものと向き合う時間
これを大切にすべきなんだと思う。
できることは家庭の環境づくり
不登校の長男でもオッケー👌
学校に行くのも行かないのも、
学校に行く。と言うのも言わないのも、
泣けてしまうのも、
笑顔で遊ぶのも、
大好きなゲームの話しかしないのも、
全部を良しとして認めていこう、と。
やっぱり
『息子には今【ありのまま】を受け入れてもらえる環境づくりが大切なタイミングなんだ』という着地点に落ち着いた。
まだ小4の今、それは間違いなく家族であり家庭である。
つまり、専業主夫として私のやるべきことだ!
具体的対策
自宅にいるときは、とことん息子の興味に寄り添い、
同じベクトルで同じ興味関心を楽しみ、
今この瞬間を楽しんでいこうと思う。
そうすることにより、息子も今を楽しんでくれたら嬉しい限りだ。
息子が抱えている辛さが少しでも薄れてくれたら良いな〜と、
ホントそれだけですね(^ω^)